カンボタン
For example, once upon a time...

 これは、ある執事が記録した、あるお嬢様に仕えた記録の一冊。
 他愛もない日常を丁寧に綴ったその記録は、失われた日々を、記憶を揺り起こす素晴らしい遺産となっている。
 やがて大公妃となった女性を客観的な目で語った伝記は、誰にも楽しんで読まれる物語となった。その記録の中に、微笑ましい一説がある。

*

『春の二月、花の週第五日目。晴れ。
 一日の業務を終えた深夜、物音が聞こえたと夜番のメイドから相談があった。任せるよう言い聞かせ、部屋に向かった。念のためという確認であったが、目の間にあった事実は、本当に大それており、かついつも通りだった。』

 彼が部屋を尋ねると、窓枠に足をかけて彼を迎えた主であるところの少女はとんでもないことを口にした。「家を出る。止めてくれるな」と。
 理由を尋ねると、「父親から縁談をほのめかされた。自分は恋をしたいのでこの話を破談にし、恋をするために外に出る」がために、屋敷の外で情報収集するのだという。いわく、「お父様の醜聞でも手にいれたらうまく利用できる」とのことだ。
どこをどう考えたら、自分の縁談のために父親の汚点を広めようとするのか。
あきれかえってとがめだてるものの、効果はない。彼は考えた。頭が痛いが、どうにかせねば結局のところ悪い結果にしかならない。
 彼は悩み、決断した。手伝うという彼の申し出に、少女は心底喜ぶ……はずもなく、心底嫌がった。
 結局のところ彼女は折れたのだが、どうせうまくいくはずがない、いつかは落ち着くだろうと予測した彼の思惑は、粉々に壊されてしまうこととなった。
ただ、ここで忘れてはならないのは、彼に予見能力がないと責めることはできないということ、そして、この夜に限っては、彼の評価は誰に見られたとしても正しいものであったということだ。

 日記は続いている。

『春の二月、蔦の週第三日目。無事に屋敷を出奔し、お嬢様は旦那様の醜聞探しに尽力していたはずだったが、頓挫した。けれど、驚くことが起こったのだ。』

 彼の予想通り、少女の企みはうまくいかなかった。彼の手助けなしでは、いったいどうなったことやらと頭痛が増すほどには、やはり箱入り娘はしごくまっとうに、文字通りの箱入り娘だった。そしてそれこそが、彼にとって一番の気苦労だったかもしれない。
 しかし、不思議なことに運だけは強かったようで、それがまた彼女が彼女らしいという評価につながるものであったのかもしれない。
 情報収集をと訪ねた宝石店でもめた彼女は、驚くべき行動に出た。夜中にその宝石店を尋ねて店主に直接文句を言うと言い始め、結果として、彼女は父親に一矢報いるどころか大きなチャンスを掴むこととなった。
 宝石店の店主は盗賊に属しており、窓を通して耳にしたのは、大公閣下の屋敷での盗難計画。しかも、計画の成功の暁には彼が仕える少女の父、つまりは旦那様が犯人とされる話で。さすがの彼も、息を飲んだと記録にはある。

 日記は事件の顛末をこう記している。

『お嬢様は乗り込んでいくかと思われたが、驚くことにしごく冷静にこう仰った。「お父様に恩を売るチャンスね」。……女性というものは、こうも嗅覚強く、強かになるのかという感想を持った。』

*

『夏の一月、萌黄の第四週四日目。
 お屋敷は騒然としていた。お嬢様に、大公閣下より直々にお召しがかかったのだ。お屋敷の中で理由を知るのはお嬢様と私のみであったから、旦那様をはじめ、皆たいそう驚いていた。』

 少女は宝石店で聞いた陰謀を阻止すべく、動いた。彼女がとったのは、ルーセナ男爵夫人、と呼ばれる才女に助力を請う、というものだった。己の才覚のみで爵位を認められた才人であり、少女の教師でもあり、優れた頭脳を持ちながら他人を飾り立てることを趣味とする、一言で言えば変人の類に属するものであった。だからこそ、少女と気があったのかもしれないと彼は綴っている。
 少女は翌日早朝、男爵夫人の屋敷の門を叩いた。彼女の屋敷はまち外れにあり、爵位を持つ人物とは思えないほどのこぢんまりとしたものだった。

「今までどちらに? ほうぼう探されてますよ」」

 男爵夫人は驚きも心配の様子もさほどなく、少女を迎え入れた。突然の訪問に詫びの言葉を述べながら、少女は椅子の後ろに控えた執事に細かな状況を補足されつつ、自分の見聞きしたことを簡潔に伝えた後に協力を申し出た。対し、男爵夫人はすべての話を聞き終えるとにんまりと微笑み、腕を組んで少女の頼みを面白そうだから引き受けると返答した。
 対抗策は、「正面から阻止してしまえばよろしい」だった。
 大公家の覚えもめでたい彼女の協力は効果が大きく、立てられた計画は大胆であったが確実性のあるものだった。計画当日の夜、盗賊一派を出迎えたのは、ルーセナ男爵夫人その人と、着飾った少女であった。

「ごきげんよう皆さま。良い夜ですわね」

 淑女の礼と共に微笑む少女に盗賊たちは呆れた表情を見せた。笑いながら少女を揶揄する者までいたが、少女は気にしなかった。

「あなたがた、今夜おそれおおくも大公家にて狼藉を働くおつもりですってね。わたくしの名誉と欲望と希望のために、一人残らずとっつかまえて差し上げましてよ」
「小娘一人でなにができる? そのドレスやら首飾りやらと一緒に嬢ちゃんも盗んで売り払ってやってもいいんだぜ?」
「あら、やれるものならどうぞ?」

 にっこりと笑いながらの言葉に、下卑た笑いを浮かべながら盗賊らは挑発に乗り。
 結論として、盗賊らは屋敷に張り巡らされた罠と男爵夫人の指示により的確に配置された人手によって、少女の言葉通り「ひとり残らずとっつかまえられた」のだった。
 陰謀を阻止した計画は男爵夫人が立てたものだったが、実際立ち回ったのは少女のため、大公の目にとまり、その功績をたたえたいとお召しがかかったのだ。少女は大公閣下から感謝をたまわり、名前を覚えられた。そして、大公の長子である伯爵にもその噂が伝わり、出会った結果、少女は大公妃となったのだ、と執事の日記には書き綴られている。

『縁は奇なりと言うが、まさかただのわがままから物語のようなことを目にするとは思わなかった。世の中はよくわからない。』

 そう締め括られた事件の顛末には、お嬢様がどうしようもないという感情の吐露が多々見受けられたが、その後嫁いだ少女についていき、子の執事もつとめあげた彼がいかに少女への忠義愛にあふれた人物であったかということもよく伝わるものであると、今も大公家と巷では話されているという。



浅月 深幌 様へ
12/17:カンボタン
花言葉:高貴、富貴、壮麗、恥じらい

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