紫千振(イブニングスター)
Paean of the irreplaceable King that the stupid man sings

  乾きの国、貧困の国、砂に生まれ砂に還る者たちの国。
 そう呼ばれる国に生きる者たちは、永く長く、永遠に続く水の豊かさを求めていた。それは国が国となる以前から、その地に住まう生き物たちの悲願でもあった。
 昼は乾いて熱く、夜は凍えるほどに寒い。太陽をどうにかすることはできない。ならばせめて水を。渇き飢える日々からの解放を。
 悲しいほどに長く望み続けた願いは蜃気楼を目指して歩く愚者の道程に思えた。けれど。

「この実が貴国に望みのものをもたらしましょう」

 朗々と声高く男が言い、下げた頭の上に実を掲げると、国王の謁見の場に集った重臣の幾人かが少し身を乗り出した。対し、国王は目を細めてその実を黙して眺めるのみ。
 言葉を発した男は熱のこもった調子で続ける。実は、水を多くたたえるものでありながら育つのにそれほどの水を要するものではなく、乾いた大地に強く根を伸ばす。切った木の幹や枝からは根が吸い上げた水が流れ出ること。それら全てが、この国を救けるものとなるだろうと締めくくった。
 だが、その言葉が嘘であることを、男は知っていた。「水を生す実」などあるはずがない。男が持ち込んだのは、道中で拾ってきたどこの木ともわからないただの実。
 男は遥か遠く、小さな山の小国から旅してきたのだが、路銀も心許なくなり、思い付いたのが「そこらでみかけたものを高く売り付ければいい」だった。
 相手はだまされたと怒るだろうがだまされた方が悪いと男は開き直っていた。ただ、男の誤算は、噂を聞きつけた国の上位貴族が現れたことだった。貴族は、男が持っている珍しい実をぜひとも売ってほしいと申し出た。
 国王の前につれてこられた男は実を必死に売り付けるしかなくなった。

「いかがでございましょうか」

 上擦った声に、王は目を細めたまま、ふぅと息をついた。男の肩がびくりと揺れる。
 王は重臣たちに向け、ゆっくりと視線を投げた。重臣たちは様々な反応を返した。だが、感じるのは、水を得たいという砂漠の民に共通の、切なる願いだった。
 空を仰ぎ、砂色に囲まれた王宮で、王は言った。

「……よかろう。実を、買い取ろう」

 男が持ち込んだ実は四つ。それに対し、男の手には、砂金ひとつぶと、砂漠の国で共通して使えるという銀貨を五枚が渡された。
 固い灰色の殻に覆われた実は、恭しく運ばれて王の前に置かれた。王は実を一瞥し、

「実の、栽培方法を教えてやってほしい」

 と男に請うた。男は実の栽培方法を教えると、渡された路銀を手に意気揚々と国を出た後、実を売りつけたことも罪悪感もすっかり忘れた。
 だが、男は知らなかった。実と引き換えに得た路銀が、砂の国にとっていかほどの財産であるのかを。
 十数年が経ち、男はある日ふと思い出す。あの実を売った国は、どうなっているのだろうかと。オアシスの街のひとつ、酒場で男は顔ある商隊の男に声をかけた。砂漠のどこか、水を求める乾いた国があっただろう、と。

「ああ、あの国ね。今はないよ」

 男は驚いた。けれど、商人は笑いながら説明した。

「あの国は、今やこんなちっぽけなオアシスなんか比べ物にならない、水の国になってるよ」

 驚いたまま声も出ない男に、商人は続ける。

 ――なにやら不思議な実から育った木が水を引いてきたと。実がもたらした素晴らしい量の水のおかげで、今じゃ水樹の国、なんて呼ばれているそうだ。

 商人は言って男の手からワイン壺を奪い取り、飲み干して席を立った。男は動かなかった。
 あの、実が。でたらめで塗り重ねて売り飛ばした実が、奇跡を起こした。男は熱に浮かされたような表情で立ち上がり、卓に代金を置いて酒場を出た。

「旦那! 多すぎますよ!」

 頭の中は、あの実を売った恩にかこつけ、国に金をせびることでいっぱいだった。



 水樹の国、とは確かに言ったものだと、男はかつて訪れた国に足を踏み入れ感嘆の息をもらした。
 砂色の景色にぽつりと緑の葉を揺らす木々が突如目に入る。国の境と思われる場所には大きな川がぐるりと巡り、砂漠の向こうへと流れて行く。もちろん水源はかつての砂の国の中にあるのだろう。
 緑と、青と。瑞々しさあふれる国の様子に、男は出た時と同じように意気揚々と足を踏み入れ、王宮を目指した。門の前で実を売った者だと名乗ると、以前声をかけた貴族が出てきて男の姿に驚きながら歓迎の声をあげた。
 男はほくそ笑んだ。これなら同じように、また金が巻きあげられると。
 実が無事に水をもたらし国が潤ったことを喜ぶ言葉をかけると、貴族は礼と共に同意の言葉を返す。感謝の言葉に心にもない謙遜を返し、援助を申し出る一言を引き出そうとして、男は貴族の言葉に声を失った。

「あなた様のもたらした実と、王の命を賭した祈りが、この国にこのような恵みをくださった。神と言うものはいらっしゃるのだと感謝の念に堪えません」
「王が、どうなさったのか」

 貴族は痛ましげに目を細め、男から実を受け取った後の話をした。
 実は、男の言うとおりに栽培を始められたが、どれだけ経っても一向に実りの気配どころか砂の中から芽も出ず、もしやだまされたのではないかと囁く声が漏れ始めていた。
 男に渡した財産は、ほとんど残っていない国庫の財産であった。水がないのならば、この国はもうおしまいだ、やはりお伽噺のようなことなど起こるはずがないのだと誰もが諦めかけていた。
 けれど、たった一人、国王だけは違っていた。実の前で祈り、高貴な立場でありながら爪を土に汚して手入れをした。自分の分と分けられた水を、実の埋められた土にかけては「恵みを。潤いを。どうか国に」と祈り続けた。
 王の悲痛なまでの姿に誰も止めることなどできず、やがて王は実の前から動かなくなった。

『私はこの実に全てを捧げよう。私のこの身ひとつで国の皆の悲願が叶うのならば、この上ない喜びだ』

 そうして、王はすでに亡き妃との一粒種の王子に位を譲り、実の前で祈り続け、やがてその呼吸を止めた。
 ただただ祈り、実にすべてを捧げたその心に報いたのか。王が息を引き取った翌日、土から青々とした芽がひとつ、朝陽の中で輝いていた。
 新たな王と貴族たちは驚きながらも王のご遺志だと芽を大切に育て上げ、応えるように芽は育ち、やがて大木となって水をもたらした。
 驚くべき成長の早さと同時に、他の実も競うように芽吹いていった。やがてその木々からもたらされた水により、かつての砂の国は水樹の国と呼ばれる栄えたオアシスになったのだという。
 男は話を聞いて、うなだれた。おこりのように身体が震え、やがて膝をついた。
 貴族が慌てて男を支えようと肩を掴むが、男は顔を上げなかった。男は、泣いていた。
 嘘で塗り固めた実を、どこの誰かもわからない男を、一国の主は希望と信じて命を費やした。その結果もたらしたものを、自分はなんと穢れた気持ちでふみにじろうとしたのか。
 男は小さな声でもう一度喜びの言葉を伝えると、ふらりと立ち上がり、国の外へと足を向けた。貴族は呼びとめようとしたが、男は止まらなかった。
 そして、二度とこの国に来ることはなかった。



 ――乾きの国、貧困の国、砂に生まれ砂に還る者たちの国。

 かつてそう呼ばれる国があったと、しわがれた声がウードと共に歌いあげる。

 ――かつての砂の国はいまや水に満たされ喜び溢れ、水樹の国と尊ばれ。
 ――水をもたらしたのは、奇跡の実。けれど実はそのままじゃ芽吹かない。愚か者がもたらした実は、尊い王の尊い祈りによってしか、芽吹かない。必要なのは慈しみの心、深き愛。
 ――砂の国はいまやなし。水樹の国よいやさかえよ。永久に、永久に。

 歌は、風に乗って朗々と砂漠を渡る。砂の広がるこの場所に、理想のオアシスがあると伝える歌を。



葛 様へ
10/31:紫千振(イブニングスター)
花言葉:愛情をちりばめる、余裕、すべてよし、威厳

※恐れ入りますがブラウザバックでお戻りください