いちご
Audacity of the spring goddess

 頭上に戴く冠は重く私を苛むものだと、笑顔で囲む人々の中で独り覚悟していた。
 喉元まで込み上げる「無理です。やめます」の言葉を口にすることができないのは、並ぶ笑顔の向こうに大きな重圧を感じるからだ。
 巡るのは、「どうして私が」という思いばかり。けれどわかってもいる。
 あの方は、私が逆らわないのを知っていたからだ。尊大でわがままで、けれど尊く強く美しい、つい昨日まで主と仰いでいた、春の女神。今や私がそう呼ばれているのは、なにかの間違いだと、まだ誰かに言ってほしいと願っている。
 無理だと、わかっているけれど。

「新しき春の女神。どうぞ記録の間へ。その後、戴冠の儀にお臨みください」

 押し出され、白い絹の靴に包まれた足が大きな門の中へと進んでいく。
 荘厳な鐘の音が、新しい春の女神が立つことを知らせるために響き渡り、改めて私の背を押した。

*

「飽きた」

 事態は、赤く形の良い唇から放たれた言葉によって始まった。
 “春を告げる女神”という存在は、尊ばれるのだけど忙しい。
 書簡を手に飛び回りながら精霊たちが女神に采配を問う。春の全てを取り仕切る女神の言葉があってこそ、精霊たちも適切な春を世界各地にもたらすことができるからだ。
 そして、春の女神は精霊たちの中から選ばれる。前代の女神からの直接の指名である代替わりは、春に属する精霊たちのなによりの名誉だ。
 だからこそ、今代の言葉は激しすぎる衝撃をもたらした。

「女神様、そのお言葉は、代替わりということでよろしいでしょうか……?」
「それ以外のなんだというの?」

 薄い絹のドレスから伸びるほっそりした足を組み替え、気だるそうに女神は言う。ああ、と息を吐きながら、蒲公英色に染めた爪が一人の精霊を指差した。

「次代を指名しないといけないわねぇ。……あの娘でいいわ」

 あとはあの娘に聞いてちょうだい。
 あくび混じりに女神は言って、玉座の向こうへと消えていった。
 残されたのは、意見をうかがう書面を持ったまま立ち尽くす精霊たちと、たまたま茶を届けに来ただけなのに次代の春の女神を指名された幼い少女の精霊だった。
 ちらと周りの精霊から視線を受け、青ざめ、首を振って辞退を申し出たかったが、すべては遅かった。

*

 春の女神不在ではまずいとすぐに代替わりの儀式は準備された。なにせ春はもうすぐそこだ。

「あの方には本当にいい加減にしてもらいたいものですね!」

 統括の記録を司る精霊に嫌みを言われ、次代の春の女神は恐縮して頭を下げる。結った髪につけられた飾りがしゃらしゃらと鳴った。
 記録の精霊の目が、細まる。

「女神が頭なんて下げるもんじゃありません。堂々としてらっしゃい」

 ぴしりと言い渡され、はい、と背筋を伸ばした。
 記録の精霊は、水鳥の羽で作った魔法の筆と記録帳を差し出してきた。春の女神として登録するので署名をと促される。
 どくりと胸が鳴った。示された場所の上には、前代となる女神の名前があった。ここに、自分の名前が並ぶ。そして、私は女神になる。
 震える手で筆をとり、署名をする。書き終えると同時、文字が輝いた。

「はい、完了です。あとは戴冠の儀ですね」
「は、い……」

 いよいよだ。今さら戻れないと知っていても、もうこの時なのだ、と鼓動が更に早くなった。
 筆と記録表を返して外に出なければならないというのに、足が動かない。早くしないと外から声がかかるだろうし、なにより目の前の精霊から追い出されるだろう。
 震える足をゆっくりと意識して動かそうとしながら記録の精霊を伺う。目が合いやはり叱られるのだと女神らしからぬことを考える。

「『象徴花』はどうされますか?」
「象徴花?」
「女神はそれぞれ、ご自分の象徴とする花をひとつ、決められているんです。ほら」

 広げられた記録帳には、確かに季節の神々の名前の隣に花の名前もあった。前代の春の女神は「薔薇」とある。

「今、決めなければいけませんか?」
「できたら」

 そんなことを聞いた覚えはないような気がしたが、自分の花を決めなければならないのは変わらない。
 春の女神の花、というならば春に目にするものが良いだろう。
 何がいいだろう。優しい印象のほうがいい。目立たず、誰もが知る春の花。そんな贅沢なことをと迷う気持ちもあったが、決まりだからと自分を納得させた。

「では……」

*

 女神を退いた精霊は、暖かい風が吹き込むテラスで、爪を磨きながら側仕えの精霊とおしゃべりに興じていた。

「今までのお勤め、お疲れさまでした」
「ありがと。それにしても驚いたわ」

 前代女神はくすくすと笑いながら削った爪の粉を吹き飛ばし、思い出すように目を細める。

「あの、適当に選んだ次代の娘の象徴花、あなた知ってる?」
「たしか、苺と。ずいぶんと可憐で素朴な花を選んだなと言う印象です」
「可憐で素朴、ねぇ。違うわ」

 怪訝な表情を浮かべる側仕えの精霊に前代女神は赤い唇に指を添え、秘密を口にするように囁く。とてもとても楽しげに。
 華やかな美貌が、楽しげに輝き、美しさが冴え渡る。

「苺はね、バラ科なのよ。あの娘は私とは違うものと選んだつもりだろうけれど。つまり同じ所属を無意識に選んでるってことね。面白いわ、案外私の目も節穴じゃないと思わない?」

 おどおどとした頼りない娘かと思いきや、吹っ切った様子で代替わりの儀を迎えていた。
 薔薇の春の女神は、金の巻き毛を揺らしながら淡い青空を仰ぎ、にやと微笑んだ。

 甘い実をつける、可憐な花を己の象徴とした若き春の女神は、銀の直毛に苺と同じ赤い目の、少し気弱そうな姿の娘。
 だが、女神の椅子に座り、春の決定を下す様は、すでに堂々たるものだった。

 その春は、穏やかながら忙しく、しかし花々の香り深いものとなったのだという。



ユッカ 様へ
4/13:いちご
花言葉:無邪気、先見性、甘い香り、あなたは私を喜ばせる、尊重と愛情(葉) その他多数

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