鹿の子草
Deep love to each other
物言わぬからとて、なんの感情もないのではないのだと、証明したかった。いつでもあなたを大好きだと、伝えたかった。 愛されて生まれた幸せを、この身は知っていたのだから。 白磁の肌にふわりと揺れる金の巻き髪、青い瞳は幸せを願って。そうやって生まれたのが、私。 「最高傑作だわ」 自慢げな声は、声の主と共に私をも満足させるもの。 私の顔をのぞきこみ、満足げに相手もうなずきながら笑った。 「お前も満足そうね! きっと、誰もが素敵、欲しいと言ってくれるわ!」 私の表情から読み取ったのかは定かではないけれど、彼女は至極機嫌よく私を胸に抱き締めたまま室内でくるくると踊った。 彼女は人形師を名乗り、自分の店を構える立派な職業婦人だ。その胸に抱かれる私は、彼女に作られた人形。 つまり、彼女は私にとっての創造主。その創造主の彼女に褒めそやされて、悪い気がするはずもない。動かない手足とまばたきしない瞳が恨めしいほど、沸き上がる感情は激しく熱い。 「ああでもだめね! こんなに可愛らしくて素敵なこなんだもの。ずっとそばにいてくれないと!」 嬉しいこと、ものばかりを与えてくれるの。大好きなお母様。 私はあなたの娘に生まれてとても、とても幸せよ。心の底からそう思った。 彼女に作られて生まれた日から、この身に心が宿った時から、過ごした時間は幸せなものだった。ずっと続くと思っていた。 彼女はただただ人形を作ることを愛し、作った人形を愛し、人形が持ち主のところで幸せになることを祈る、優しい人形師だった。 だから、彼女はあっけなく罠にかかってしまったのだ。 * 棚の上から見えるのは、俯く彼女の頭のてっぺんのみ。彼女はずっと泣いている。 顔を覆う手には白い布。たしか、包帯と言ったか。 時おり修理の必要な人形に「早く治りますように」と冗談めかして彼女が巻いていたものだから、勘違いではないはずだ。では、彼女も修理が必要になったのか。 包帯を巻いていれば治るはずなのに、彼女は一向に笑うことはない。俯いて泣き続ける彼女は、こちらを見向きもしない。 悲しみだけが部屋の中に満たされて、どうにもできない困惑と焦りだけが、私の心中で渦巻くばかり。 どうしたの、と声をかけられないことの、なんというもどかしさだろう。彼女を、悲しみから救いだしたい。私ができないのなら、誰か。 その思いが聞き届けられたのか、否か。 隣の部屋から現れた男性が、そっと彼女の肩を抱いた。力なくもたれかかるかに見えた華奢な体は瞬間、男性を突き飛ばしていた。 ぜいぜいと息をつきながら、やっと見えた彼女の顔は涙まみれで、頬には新しい滴が伝っている。 彼女は怒りに燃える目で、涙をこぼしながら叫んだ。わかったようなこと言わないで、と。 あなたに何がわかるの。私がどれだけ絶望しているか、どれだけ悔しく悲しいか、わかるはずなんてない! この身に心が確かにあるからこそ、その叫びはまさに胸が締め付け痛みを感じさせるものだった。慟哭だった。 現に、男性は驚きと傷つきた表情を見せていた。 それでも私と違って、男性はごめんと口にすることができた。彼女の体を包み込む大きな腕と体を持っていて、どれだけ彼女が抵抗しようとすっぽりと守るように抱き抱え、やがて彼女は静かになった。 すすり泣きだけが響く中で、彼女がうわ言のようにつぶやくのと、慰める男性の言葉から、彼女の手が傷つけられて、もとのように動かなくなったのだと知った。 美しい人形を、もう作れなくなってしまうのかしら……? 消えるような声での問いかけはぼんやりとしたもので、それでも刺すような悲しみがあった。背をなでながら、君が作る人形は、どれも素晴らしいものだよと男性は慰める。 そうかしら? そうだとも。でも、それでも。いくつかの言葉のやりとりの後に、彼女は寝室へと連れられていった。疲れて眠り込んだらしい。 視界から二人の姿は消えてしまったけれど、棚の上から見下ろす瞳には、先程の光景がまざまざと浮かび上がっている。彼女が私に笑いかけてくれたように、これから生まれる人形たちは笑いかけてもらえるのだろうか。 そもそも、人形の母たる彼女は笑うどころか人形を作ることさえできなくなるかもしれない。 あの優しい、生まれてきた喜びを感じる笑みをもう二度と見られないなど、見過ごすわけにはいかなかった。 懸命に、祈る。 それしかできない身を恨めしく思いながら、強く願い、祈る。夜の月明かりがきらりと髪に反射した。 ――どうか、お母様がこれ以上悲しみにくれないように。私は願います。この身がどうなろうと構いませんから。お母様の望みを叶えてください。 月の明るい空の夜、窓のガラス越しに見えた星がひとつ、糸が切られたように流れて消えた。 誰しもに平等に、朝はやってくる。 あんなに泣いて眠ったのに、体も心も清々しいほどに軽く感じながら 彼女は目覚めた。 ゆっくりと息を吐きながらおそるおそる己の両手を見て、彼女は悲鳴を上げた。その悲鳴は昨夜と違い、歓喜に満ちたものだった。 彼女の声を聞いて駆けつけ、彼女に起こった奇跡の報告を男性が受けている。 姿は見えないけれど、その光景は容易に思い描くことができた。 ――彼女の傷ついたところを、私のと取り替えてください。 願いは叶い、ことり、と優しい音がして、心がゆっくりと闇に沈んでいくのがわかった。 床の上に、白い陶器の欠片が花のように広がっているのを彼女が見つけるまでは、まだもう少し。 ――大好きなお母様。私を愛してくれたお母様。新しく生まれる子のことを、私にしてくれたように慈しんでください。お母様が幸せでありますように。 それが私の心です。私の願いです。 了 |