ドラセナ
The truth of Selfishness and Pray

 伝承、伝説、昔語り。そういったものは、大きな出来事が、些細なきっかけで起こりうるものだと教訓として語り継いでいるものにすぎない。

 ある里が、豊かな恵みをもたらす山の麓にあった。季節の移ろいを示す緑と絶えず清らかに流れる水が穏やかに日々を刻み、里の田畑は日々の糧を豊かに実らせていた。
 山の奥には、二人の龍の姉妹が住んでいた。人が足を踏み入れることはおよそないだろう深奥で、山の源である泉を守り、静かに暮らしていた。
 ある日、龍の妹姫が人の男と恋に落ち、人の妻となって山を降りることを決めた。

「あねさま、どうぞお許しください」

 冷たく清らかな美貌を持つ姉姫に対し、温かく柔らかな可憐さを持つ妹姫は、鈴の音のような声でそう請うたという。
 姉姫は二人で暮らしてきた意味を説いたが、果てには二人が添い遂げることを是とした。
 人として生き、人として死ぬことを妹姫に許し、山を守る役目から解き放った。
 だが、幸せを祈った姉の願いとは裏腹に、訪れたの悲劇というべきものであった。
 ある年、ひどい嵐とその後の日照りにより、里には実りが少なく冬を越す準備がままならなくなった。
 今までの豊かさに対してのありさまに、里の者たちは戸惑い、どうにかせねばと思案した。そして行きついたのは、人の力ではどうにもならないという事実だった。
 人の力ではどうにもならないのならば、どうしたらいいのか。里の者たちは思案していると、誰かが声をあげた。人柱を立てればいい、と。
 では誰がと返す声に、誰も応えない。どうにか、誰かと重くなる空気の中に、わたくしがと凛とした声が上がった。山から人の男に嫁ぎ、人身の妻となった龍の妹姫が立っていた。

「この身は山に近しきもの。山にお返しすればたちまち恵みは戻るかと」

 里の者たちは妹姫に感謝し頼み、山に送りだした。白装束に身を包み、妹姫は山の中を進む。
 山の深奥、源の泉。妹姫は清らかに澄んだ水の底をのぞきこむ。

「あねさま、どうぞお許しください」

 かつて口にした言葉を繰り返し、妹姫は泉に身を投げた。しかし人となった妹姫にもはや龍の力などなく、何も起こるはずもない。
 姉姫が気付いた時には遅く、娘の体は冷たくなり、水の底に沈んでいた。
 
『許さない』

 漏れた声は、もはや人の耳に言葉とわかるものではなかった。
 美しい女の姿は刻々と姿を変え、いつしか龍の姉姫は白い龍となって空へと翔け上がっていた。

 これは呪いである。声だけが天に轟いた。
 これは呪いである。我が怒りを呼び起こし、災いを地に振り撒いた者への、裁きであり償いせしめたるものである。世に穢れをもたらした者たちよ、たやすく死ぬことは許さぬ。
 苦しみ、穢れを見、血肉振りまきて喰らわれる痛みを味わうがいい。
 禍を望んだのだろう。目の前の苦難から容易く逃れようとした報いを受けるがいい。
 私は許さぬ。この悲しみと怒りはそなたたちの傲慢さから生まれたものである。
 声は山と川を下り、里に届く。

 雷と雨の嵐は里に鉄槌を下すかに思えたが、その怒りを止める声が、泉の底から風となり、龍の耳に届いた。

 あねさま。あねさま。
 わたしはあねさまのことが大好きでした。とても、大切でした。今でもそれは変わりませぬ。
 あねさまは尊くお強く、そして賢くあられた。本当のことを存じていらしたのを、わたしは知っていました。
 わたしは幸せでした。十重にも二十重にも、わたしは幸せになれたのですから。
 境を越えたことは後悔いたしませぬ。同じ道を歩むことを選んでくれた彼の人を愛しく思うのです。とても、とても感謝しているのです。
 どうかあねさま、お怒りとお怨みと嘆きはどうぞわたしへと向けてください。
 人の子らはただ生きているだけなのです。なんと傲慢なとお笑いになるやもしれませんが、こたびの始末は姉妹の末たるわたしが起こし、幕引く役目をになうもの。
 どうかどうか、お怒りのままにわたしへと、お力をふるってください。そして人の世へは、平らかな愛をお示しください。
 大切な、誰よりも尊く唯一無二のあねさま。わたしが今も崇敬の念と切なる愛情を抱いておりますことを存じていてくだされば、幸いに存じます。
 声なき声は、山と川をさかのぼり、空へと届く。

 永遠に思えた嵐の中で、白い龍が空を駆け巡り、声を落とした。

 愚かな娘、愛しい私の血を分けたたった一人の妹よ、なんて愚かなのだろう。そして誰より愚かなのは私。
 人の世を、私は愛そう。人の世に生きる者を、私は許そう。
 そして、私と血を分けた愛しき娘に、罰を与える。
 生きて、生きて、生きて。人の世を生ききるがいい。
 境を越えた償いを、神に近しい娘と人の子に私は求める。
 龍の姿は雲の向こうに消え、声だけが山の泉に溶けて消えた。

 徐々に雨風は弱まり、家から出た里の者たちは、目を剥いて驚いた。
 山は降り続いた雨によってなされた川に隔てられ、容易に立ち入ることができなくなっていた。だが、流されたのは龍の妹姫をめとった男の家のみで、神の慈悲だ、男と妹姫が姉姫の怒りを鎮めたのだと里の者たちは思った。
 嵐の過ぎ去った山と川をつなぐ橋をかけることも取りざたされたが、新たな怒りを買うのも恐ろしいとついに橋が川にかけられることはなかった。
 代わりにと、山に入る道に一番近い場所に、妹姫と人柱となった男に向けて、小さな祠が作られた。里に住む者たちは時おり祠を訪ね、それは長く長く続く風習となり、山のお話として語り継がれるものとなった。

 こぽん、と音を立てて森の深奥にあった泉が最後の雫を浮かび上がらせ。その後はどうなったのか、誰も知ることはなかった。
 やがて神となった娘の血を引く娘が泉に赴き、美しい音を立てる水晶を手にしてきたが、娘以外の者が泉にたどりつくことはできなかった。
 水晶は神の鳴り声を避ける守りとして、娘と娘の慈しんだ人の子らが大切に受け継いでいったという。


藤咲 花梨 様へ
12/1:ドラセナ
花言葉:幸せな恋、幸福、名もない寂寥、永遠の愛 他多数

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